先日、大学時代の友人の結婚式に参加して来たのだけれど、そこであることに気づいた。
自分には研究者(大学のセンセイ)コンプレックスがあるという。
同年代で社長やってる友人とか、お給料たくさんもらってる友人とかを羨んだりすることはないのだけれど、同じ学科の後輩が某国立大学法人のセンセイしてると聞いて僻んでしまった。同い年で大学でセンセイしてる友人たちにもやはり同じ感情を持ってしまう。もともと大学院に行きたかったのもあるんだろうけど、何でかはよく分からない。
今日は仕事で管理職相手に採用面接の勉強会を行った。2時間ほど講師として話をした訳だけれども、そこで気づいたこと。
自分は人前で話をするのが好きだということ。
上手に話ができるわけではないし、滑舌悪いのでむしろ下手なんだけれど、とにかく人前で話をするのが好きみたいだ。「教育学部に行って何で先生にならなかったの?」と聞かれ「自分怒ることができないから」とか「最近の先生は大変だから」とか適当なこと言っていたなぁと思う。その時は本当にそう思っていたのだけれども。いつかは分からないけど、大学に戻る日が来ることもあるかもしれない。
私の趣味の一つに資格取得がある(そんなにたくさん受けているわけではないけれど)。結構、資格をたくさん取ることや資格を取ることと自体が目的になることに対して否定的な人もいるけれど、「資格勉強をするプロセスで得られるものは大きい」という実感を持っている。妻からは「何が目的なの?」と日々言われているが、思い返してみると資格への憧れは今に始まったことではないことに気づいた。何がきっかけだったかは忘れたが中学校時代からこんな本
を毎年買っては、中学生でも受けられる資格を日々探していた。結局は危険物取扱者のテキスト買って勉強したくらいだったけれども。更にさかのぼると、我が家は共働きだったので少しでも帰宅時間を遅らせようと(いう意図があったかどうかは分からないのだけれど)、たくさん習い事をしていた。水泳、そろばん、習字、サッカー、塾に器楽部。その中で、水泳もそろばんも習字も級があって、それがだんだん上がっていくことに達成感を覚えていたのかもしれない。ちなみに硬筆2段なのだけれども誰も信じてくれない。そう考えると昔から何も変わってないなぁと思うのであった。