ダダすべる話

ばりかんのおもひで

先日、南日本新聞のひろば欄に息子の髪をバリカンで刈っている父親の寄稿が載っていた。確か「あと何年こうやって息子の髪を切ることができるのだろうと考えて感慨深くなった」といったことが書かれていた。

我が家も息子の髪を切るのは私の担当だ。誰に似たのか(言うまでもなく私だが)髪が伸びるのが早く、伸びる度に子ども用のバリカンで丸刈りにするの。それはもう毎回大騒ぎである。「おかあさんといっしょ」をいつもより大きめのボリュームで流しながら、テレビの前にイスをセットすると最近少し賢くなったのか、もうその段階で大泣き。バリカンのスイッチを入れようもんなら近所迷惑レベル。

だから今回髪型変なんですという話ではない。あれは意図的にやってます。そんなことはどうでもいいのである。そんなことを考えていたらふと高校時代のことを思い出した。

私の母校では毎年隣の高校とのスポーツ対抗戦が開催されていたのだが、それは3年の時だった。引退前に最後の対抗戦に気合を入れようと思ったのだろう。同じバレー部の数名(数名だったよね?1人じゃないよね?)と5厘にすることにした。そう、オリンピックのマークをかたどった丸刈りのことである。・・・・・・嘘です。1.5mmの丸刈りのこと。対抗戦前日、友人からバリカンを借り我が家で母に刈ってもらうことになった。

庭で上半身裸になりバリカンで刈り始める母。と同時に手が止まる。「本当にやっても大丈夫?」もちろん。気合のためである。続ける母。半分泣きながら刈る母。なぜ刈る側が泣くのだ。「髪なくなってるけど本当に大丈夫?」そう、5厘にすると切った瞬間スキンヘッドみたくなるよね。でも、僕もう決めたんだ。そもそも中2までほとんど丸刈りで過ごした私。5分だろうが5厘だろうがあまり変わらない。

そして、対抗戦当日。周りの反応がどうだったかは覚えていないが、高校生活最後の対抗戦、バレーの試合は無事に勝利。バリカンのおかげである。午後からは花形、野球の応援。その日はとても天気が良かった。雲ひとつない晴天。帽子など持っていない私はツルピカな頭を炎天下のもとに晒していた。結果頭が真っ黒に日焼けした。

不思議なことに頭皮は日焼けの皮がむけるのが早かった。翌日からどんどんむける私の日焼け頭皮。むけたところと黒いところが斑になるツルピカ頭。みんなから「気持ち悪い」の言葉を浴びせられたのは言うまでもない。

対抗戦があるのが4月(だったと思う)。卒業する段になって、5厘頭の写真でも見ようと貰ったばかりの卒業アルバムを開いた。対抗戦のバレーの写真を見る。見事に私は写っていなかった。そう、私はレシーブが下手だった。卒業アルバムに採用された写真は私が後衛に下がりリベロが入っている時のものだったのである。卒業アルバムなのだから少しは3年生に気を遣ってほしいものだ。あ、あれか私が前衛で活躍しなかったのが悪いのか。

ということで、その時の5厘写真持ってる方がいらっしゃいましたら見せて下さい。

 

youtubeでこんなん見つけた。まだやってるんですね。

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