2011年10月に買ったまま放置していた本。てっきり読み始めたはいいけど合わなくて読むの止めたんだと思っていたのだけれど、なんてことはない、おもしろくて一気に読み終えた。というか、「はじめに」すら読んだ記憶がなかった。
哲学ディベートとは著者がアメリカの大学に留学中に考えていたもので、日本の大学で哲学専攻ではない学生を対象とした授業を担当するようになってから徐々に具体化してきたという。哲学専攻でない学生を対象に古典的な哲学的問題を題材にすると、内容が抽象すぎて現実感が乏しくなり、一方で、身近な時事問題を扱うと文化評論止まりになってしまう。そこで現代社会で生じた現実の事件を論題として設定し、肯定側と否定側に別れてディベートを行うことで「現代の〈倫理〉的問題を〈論理〉的に考えるという授業形態を始めた。
ただし、その目的は弁論術のようにレトリックを磨くことでなければ、競技ディベートのように勝つことでもない。あくまで、その背景にどんな〈哲学〉的問題があるのかを論理的に掘り下げて、新たなアイディアを発見することにある。
この説明を読んで何かに似ていると感じた。そう、私が世話人を務める哲学カフェだ。ただし哲学カフェでも進行役が十分な知識を持っていないと「内容が抽象すぎて現実感が乏しくなり、文化評論止まりになってしま」い得るわけで、鹿児島哲学カフェでも実際に私の知識・スキル不足からそうなっている。願わくば、こういった先生の下で修行したいものです。
さて、本書では序章でひと通りの倫理的立場を解説しつつ、哲学ディベートとはどういったものか雰囲気を掴んだ上で、第1章以降「文化」「人命」「人権」「自由」「尊厳」という5つのテーマにそって学生が哲学ディベートを実際に行う形で進んでいきます。内容的には「そこまで踏み込むか!」ってくらいディープなところまで入り込んでいて、心臓が弱い方は心の準備が必要です。私は読後しばらく猿脳のことが頭から離れませんでした。でも、真剣に考えるってそこまで掘り下げなきゃダメなんだよなと感じました。
本書での一番の収穫はイデアという考え方が生まれる経緯を理解できたことです。これだけでも読んで良かったと思いました。
哲学ディベート形式で哲学カフェをやるのもありですね。一度試してみようかしら。
2007年11月30日 初版発行
出版社:日本放送出版協会
302ページ
ISBN-10:4140910976
ISBN-13:978-4140910979
装画:木内達朗
装幀:倉田明典