ほぼ日 日記・考察

パンク直して80年

今日からほぼ日で始まった3回連載。「鈴木金太郎、91歳のパンク直し。」写真がいきなりかっこいい。

鈴木金太郎、91歳のパンク直し。 - ほぼ日刊イトイ新聞
http://www.1101.com/kintaro/index.html

これを読んでいたら子供の頃に飽きるほどパンク修理したのを思い出した。確か初めは親父がやってるのを見てただけだった。

あの頃はどこに行くにも自転車だったから、それはもうよくパンクしたものだ。

ただ小さい穴が1つ空いた時は簡単なもので外側のタイヤを外して、チューブを露出させ一度空気を入れて水の入った洗面器へ。ブクブクブクと空気が出てきたら一度空気を抜いてその穴目掛けて修理キットで塞ぐ。もう一度空気を入れてブクブクしないことを確かめてチューブを元に戻し、タイヤをはめて、最後に空気を入れていっちょ上がり。

厄介なのは修理キットじゃ防げないほどの穴が開いたり、あまりにもチューブが古くなってチューブごと替えなきゃいけないとき。一度、車輪を固定しているナットを外してブレーキのワイヤーを外さなきゃいけない。ちゃんと元の通りにしたつもりでも何度ブレーキが効かなくなったことか。それを直そうとすると今度はブレーキ効きすぎ。ちょうどいい所に落ち着かない。

そんなこんなで簡単なタイヤ修理は習得したもののブレーキがどういう仕組なのかは分からないまま大人になってしまった。

まぁ、例のごとく何が書きたいかわからなくなってきたが、単に思い出に耽っているだけである。

途中で何台か替わったけれども、一度もお店に修理に出さずに乗っていたのは自転車が大切だったからだろうか?修理に出すお金がもったいなかったからだろうか。大切ってなんだろう。愛着ってなんだろう。考えてみると高校・大学のことに比べて長く使っているものがたくさんある。腕時計は6年、ブーツは9年、2枚のネルシャツも8年。21-23歳の頃に買ったものをまだ"大切"に使っている。大切だから使っているのか?ただ捨てられないだけなのか?大切なのはその物たちなのか?その頃の自分なのか。いづれにせよまだまだ使えるものばかりである。大切かどうかはさておき自分が捨てない限りはまだまだ使えるわけだ。

そんな中、今年大切なものが2つ加わった。この流れだと息子って言うべきなんだろうが、そもそも息子は今年ではない。1つはSCOTCH GRAINのビジネスシューズ。頂き物で自分で買うには高価なものだ。もう1つはほぼ日手帳のブライドルレザー。こちらも元が取れる日は来ないほど私にとっては高い。ただ、どちらもやはり長く使えるいいものだ。こういった良いものと巡り会えたのも何かの縁なのでお互いの愛想が尽きないうちは"大切"にできるだけ長く使いたいものだ。

 

それにしても冒頭のほぼ日の記事「パンク直しには、人柄が出る?」は気になりますね。明日も要チェックや。

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