御祭神
照國大明神(島津家二十八代島津齊彬公)
御由緒
御祭神の島津齊彬公は、文化六年(一八〇九)御出生、嘉永四年(一八五一)四十三歳で薩摩藩・藩主を襲封され、安政五年(一八五八)薨去されるまで僅か7ヶ年間の治世であったが、その間の御事績は藩内のみならず日本国にとっても広く大きく数々のものを残された。生前の御遺徳を慕い崇敬の念を寄せる万民の願いにより神社設立の運動が起こり、文久二年(一八六二)鶴丸城の西域である南泉院の郭内に社地を選定し、仝三年(一八六三)五月十一日勅令によって照國大明神の神号を授けられ一社を創建した。翌元治元年社殿竣工、照國神社と称し、明治六年県社に、仝十五年別格官弊社に列格し、仝三十四年正一位を賜り、今日では、鹿児島の創氏神様として、多くの人々に崇敬されております。
社殿
創建時の社殿は権現造、明治十年西南の役の兵火に罹り焼失、仝十五年建設流造、更に明治三十七年改築、昭和二十年八月戦災に依って焼失、仝二十八年本殿、仝三十三年拝殿仝四十二年神門を夫々再建し、仝六十二年東授与所、仝六十三年西授与所を建設し、平成六年御鎮座百三十年記念に幣殿を拡張した。
御事績
御祭神は天資聡明であられ、当時三百諸侯のなかでも稀に見る偉材と称えられておりました。幼少より学問を好まれ、蘭学を始め多方面に業績を残されており、開明的な考えと、科学的な知識を持たれ、海外の情勢に最も明るい大名でありました。
江戸幕末、国の内外多事多難な前途を克く洞察され、その対策として積極的な西欧文明の導入による集成館事業は、反射炉設置、大砲製造、蒸気船建造、洋式紡績工場開設、日章旗制定等、多くの業績を残し、国力増強と殖産興業により、人々の生活向上と、外国の勢力に左右されない国の基盤の安定をはかられたのです。
又、敬神の念篤く、尊王尽忠を基として、学問を奨励し、身分にかかわらず有能な人材を養成されたために、西郷隆盛、大久保利通等、幾多の人材が輩出し、明治維新大業の原動力となられた方で、治世中の業績は貴く大きく、近代日本の礎を築かれた大恩人であります。
所在地
〒892-0841 鹿児島市照国町19-35
TEL.099-222-1820