伴走(ブラインドランナーズ鹿児島) 日記・考察

見えない世界

2017年6月30日の大人の作文&スピーチ「おとなの、あのね」のために書いた作文です。一部、追記・修正しています。

作文中のブラインドランナーは先天性の全盲の方を指しています。ご了承ください。

「ここは違うぞ」ということがありましたら是非お教えください。それ以外のご意見もお待ちしております。



 

最近、伴走を始めた。楽器ではなく走る方だ。伴走にも色々あるが、視覚障害のあるブラインドランナーをサポートしている。ランニングを始めて6年目の昨年、伴走に興味を持ち始めSNSで伴走者アカウントをフォローしたり、レースでブラインドランナーをストーキングしたりしてきたが、なかなか一歩踏み出すことができなかった。半年ほど前から「俺伴走始めるから」と周りに吹聴し、退路を断てなくして、ようやく先月練習に参加することができた。

事前に学習した伴走者の役割は、輪っかにした短いロープと"声"でブラインドランナーを導くこと。"声"というのは、カーブや曲がり角までの距離、坂や路面の状態を教えたり、周囲にブラインドランナーの存在をアピールして安全を確保したり、景色など周りの様子を伝えるガイドとしての役割を記載したサイトもあった。初参加の日、ハートピアかごしまのグラウンド集合だったこともあり、グラウンド内で伴走の方法や心得を手取り足取り教えてもらうつもりでいた。が、ベテランブラインドランナーさんとペアになり、すぐさまグラウンドの外へ。そこから2人きりで甲突川沿いを10kmおしゃべりしながらランニング。長い間怯んでいたのは何だったのかと思うほど、初伴走は無事に終了した。

翌週も参加し、2回の練習で3名の方と計19kmを走った。私が伴走を始めたのは「人の役に立ちたい」からではなく「視覚障害者の世界を知りたい」から。走りながらここぞとばかりに色んな質問をしている。例えばケータイはどこまで私と同じように使えるのか。メールは使える。LINEも使える。でも、画像を送られても画像だということしか分からない。そうして、まったく知らなかった視覚障害者の世界を少しずつ広げていっている。しかし、知ることはできても理解できないことがいくつかある。初練習時、走りはじめてまもなく私はこんなことを尋ねた。

「どうやって距離を認識しているんですか?」

私はあの信号まで大体何百メートルだとか、レース中もコース図を思い浮かべてあと何キロくらいだと予測することができる。なので

「このくらいのペースで何歩進んだら何キロ」

といった答えを期待していた。しかし、返ってきたのは「このGPSが500m毎に教えてくれるから」。私は見えるから予測することができる。しかし、見えたことがなければどうやって予測できるのか。

もうひとつ。別のランナーから息子さんが400mリレーでインターハイに出場した話を聞く中で「自分が走るのなんかよりよっぽどドキドキしますよ」という言葉を聞いた。彼は息子さんの走っている姿を見たことがない。400m走を視覚的に感じたことがない。しかし、私と同じように息子のかけっこにドキドキすることができる。目が見えなくても視覚的なイメージはできるのだろうか。毎晩夢は見るのだろうか。疑問は深まる一方である。

例えば、私の目が明日見えなくなったとしても、彼らと同じ経験はできない。見えていた記憶があるから。私が感じている世界は彼らの感じている世界とはまったくの別物だ。伴走者はけっしてブラインドランナーの目にはなりえない。できることはただ、一本のロープを介して伴に走ることだけだ。

 

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