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【ネタバレあり】本当に愛しているのはどちらか問題 ~『愛がなんだ』を観て~ 

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※ネタバレあり注意

鹿児島では先週末公開されたばかりの『愛がなんだ』のネタバレを含みます。ご注意ください。

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つい最近、東京で久々に会った友人がこんなことをつぶやいていた。

「愛がなんだ」の映画を観たのせさんに(わたしは小説を読んだだけ)、「◯◯ちゃんに、あの主人公の女の子の気持ちは絶対にわからないよ」と断言されたのはそういうことなのだろうか。

そういうことってどういうことなのかはおいといて、確かに私は彼女に言った。

私
◯◯ちゃんにテルコの気持ちは絶対わからないよ。

たぶん1度ではなく2度3度と重ねて言った気がする。「絶対わからないよ。絶対にね」とダメ押しした気もする。けっして彼女をバカにしているわけではなく、私自身テルコの気持ちがまったく分からなかったし、彼女も私と同じタイプだということが分かっていたからである。

「同じタイプ」の説明は後々するとして、『愛がなんだ』の感想が「私はナカハラタイプ」だとか「テルコに感情移入しちゃった」という言葉で語られることが多いのは、分かりやすい対比する形で人物が描かれているからだ。

  • ルックスが完璧な葉子と幼児体型のテルコ
  • マモちゃんに翻弄されるテルコとナカハラを手玉に取る葉子
  • 自己中心的なマモちゃんと相手に尽くすナカハラ
  • 恋愛なれしている葉子と恋愛ベタなテルコ
  • 去る者追わずなドライな葉子と基本的に重いテルコ
  • 最終的に葉子のことを諦めるナカハラとマモちゃんに選ばれなくても少しでも側にいようとするテルコ

そう、この最後のナカハラとテルコの選択のどちらに共感するかが観た人のもっぱらの話題なのだ(葉子とかマモちゃんにしか共感できないモテる人はとりあえず黙っててください)。

ナカハラは葉子の言いなりになることで「自分が葉子をダメにしているんじゃないか」と諦めることを選択する。一方、テルコは終盤、もはや自分がマモちゃんから選ばれないことを悟り、しかし少しでも一緒にいたい「マモちゃんになりたい」とマモちゃんとすみれとの関係を応援し、自身もマモちゃんの友人と付き合えるようにと努力をし始める。

このテルコの気持ちが私には全く理解出来ないし、先の友人も理解できないはずだと思ったわけである。私は人間関係において基本的にドライで人に干渉しないし、人間同士が完全に理解しえないと思っているタイプだ(し、彼女もおそらくそうだ)。

かつ、結構なヤキモチ妬きなので相手が他の誰かと一緒にいるとこなんて見たくないし、別れた後によく「好きになった相手には幸せになってほしい」とかいう人がいるけど自分以外の人と幸せになってるとこなんて見たくもないし知りたくもない派である(この点は彼女はまったく大丈夫なはず)。

そういったわけで「マモちゃんになりたい」テルコの気持ちが全くわからないのだけれど、そんなテルコと私はどちらが相手のことを愛しているのだろうか。

相手には振り向いてもらえなくていいから、友達のままでいいから、ずっと側にいたい。私からしたら「好きなんだったらマモちゃんがすみれさんといるとこ見るのしんどいんじゃないの?」「それが大丈夫なんだったら好きじゃないんじゃないの?」と思うが、テルコからすれば「一緒にいるとこ見たくないって、そんなの自分のことを好きでいてくれる相手が好きなだけなんじゃないの?誰と一緒にいようが私のそばにいたいと思うのが本当の愛じゃないの?」といったとこだろう。「もはやこれは愛とか恋ではない」と言っているけれど本当に愛しているのはテルコの方かもしれないわね。

ということで『愛がなんだ』を観て「愛とはなんだ」を考えさせられた次第です(映画自体はそんな安っぽい話ではないですw)

鹿児島では天文館シネマパラダイスで先週末から公開されていますので、是非ご覧ください。

私ももう一度観に行こうかしら。

 

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