演劇集団非常口

【ネタバレあり・観劇レポ】演劇集団非常口 第19回公演『鱗の宿』を観てきた

以前、こちらでご案内した演劇集団非常口の第19回公演『鱗の宿』を観てきました。

今月15日から18日にかけては初の東京公演を成功させ、前日には劇団主宰で作・演出も務める島田佳代さんが鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞と、とてもいい流れでの鹿児島公演になったのではないでしょうか。

※私は演劇に関して何も理解してないですし、非常口の芝居も過去2回しか観たことありません。そして、ドラマや映画などで1人だけ違う解釈をしていたりします。以下は私個人の感想でしかありませんので、あまり気にせずお読みください。

まず初めに端的に言って最高でした。これまで第16回公演『乗組員(2014/11/22)』、第17回公演『チャチャトゥールの穴(2016/11/26)』の2作品しか観たことはありませんでしたが、戯曲も芝居も非常口のいいところが一番出ていたように思います。

「伊佐市で作っているからこそ」の意味

非常口のことを語られるとき「伊佐市で演劇という営みを続けているということ」自体がよくクローズアップされます。島田さん自身も鹿児島県芸術文化奨励賞の授賞式で「伊佐市で作っているからこそ出せる空気が確実にあることを武器にして、伊佐市で作ったものを広く発信できるように頑張っていきたい」とおっしゃったとのことですが、田舎で演劇を続けているという文脈の上では非常口が特殊だとは私は思っていません。

これだけエンターテイメントが溢れる時代。劇団が活動を続けていくこと自体、人口の多い都市部でなければ成り立たないことでしょう。音楽やスポーツ、映画と比べ、田舎で感激を趣味にする人の人口はおそらく少ないでしょう。

そのような状況の中、四方を山に囲まれた、まもなく人口が3万人を切ろうとしている伊佐市で劇団を続けているのですからその点を注目されるのは当然のことかもしれません。

しかし、島田さんの書かれる戯曲で表現されている「生きづらさ」「閉塞感」「人間臭さ」というものは、伊佐市にだけあるものではありません。山に囲まれた田舎の劇団はきっと非常口だけではないでしょうし、伊佐特有の「生きづらさ」や「閉塞感」があるわけでもなく、ましてや都会でもみんな「生きづらさ」「閉塞感」を抱えて生きていると思います。

非常口の魅力は、そういった誰しもが持つ「生きづらさ」や「閉塞感」を、伊佐での暮らしを反映した戯曲の中で、誰もが共感できるような普遍的なものとして伝えることができていると思います。

例えば、今回の『鱗の宿』に出てくる芳井かおりは先祖代々島の祠を守る家系として、自分が島に残って継ぐべきか悩んでいます。意気揚々と島を出ると告げる谷村陽を羨んだりしながらも、島に残ることを決断しています。

これはおそらく島田さん自身の思いでしょう。

島(伊佐)を出た方が、外の世界を見ることはできるし、最先端のことはできるかもしれない。でも、残ってでもできないわけではないし、島だからこそできることだってある。大事なのは自分でそれを決めたということ。「変わるって勇気のいることだから」という台詞の裏には、一方で変わらないことの大切さも込められているように感じました。

また、伊佐のロビンウィリアムス(私が勝手に命名)友枝さん演じる作家石渡哲司の台詞には、かなり共感させられました。「どこにいても、誰といても、1人だなぁって」「僕の悪いところのひとつは大事なものを手放したくなるところ」など胸を締め付けられまくり。

こういった台詞も普段島田さんが感じられていることだとは思うのですが、私が非常口の戯曲が好きなのは島田さんと考え方が似ているからかもしれません。

 

あと、東京公演の感想で気になったのがこちらのツイート。

「鹿児島弁を抑えた」とありますが、鹿児島人の私からしたら石渡夫婦以外はリアルな鹿児島弁だったと思います。果たして、東京公演だから抑えたのかしら?と思いました。しかし、鹿児島は大河ドラマの影響などで方言の強い土地だと思われがちですが、実は鹿児島弁は方言の強い土地ではないという研究結果もあります。菊池哲平、中石ひさこの行った研究によると、鹿児島、大分、北九州、高知、舞鶴、京都で行った地域方言使用評定において、鹿児島はもっとも方言が遣われていないという結果が出ました。(菊池哲平・中石ひさ子(2014).自閉症スペクトラム障害児における方言理解の特徴.日本特殊教育学会第52回発表論文集, P1-G-8.)これを読んだときは私も驚きましたが、確かに独特なイントネーションを以外では方言を頻繁に使用することはありません。そのため、鹿児島人の私にとって「鱗の宿」での言葉はリアルな鹿児島弁に感じました。一方で鱗島が鹿児島に存在しないことを知っているので、そのリアルな鹿児島弁と相まって絶妙なフィクション感に没頭することができました。

逆に東京の方からすれば、理解することのできない鹿児島弁こそがリアルな鹿児島弁なのかもしれないと思った次第です。

個人的には石渡夫妻がきれいな標準語を喋れることに驚きましたが(特に石神さん)、石渡哲司が柿を書いに行く前に吠えた「パーシモン」の発音が思いっきり鹿児島弁だったのが、茶目っ気で鹿児島弁で言うという設定だったのか、つい出てしまったのかが気になりました。

 

平田オリザさんのいうところの「対話」

『鱗の宿』観ながら思い浮かんだのが、平田オリザさんが『対話のレッスン』や『演劇入門』の中で書かれている「対話」でした。知っている者同士のおしゃべりは「会話」で、そこに他者が加わることで「対話」になると。そして演劇ではこの「対話」が重要になってくると。その理由を以下のように書かれています。

 なぜ、近代演劇において対話が最も重要な要素となるのだろうか。
 (中略)...場所を決定する際に説明したとおり、日常会話のお喋りには、他者(観客)にとって有益な情報はほとんど含まれていない。家族内の会話だけでは、お父さんの職業され観客に伝わらない。
 演劇においては、他者=観客に、物語の進行をスムーズに伝えるためには、絶対的他者である観客に近い存在、すなわち外部の人間を登場させ、そこに「対話」を出現させなくてはならないのだ。

引用:平田オリザ『演劇入門』p.121~122

『鱗の宿』では「会話」と「対話」のバランスが絶妙のように感じました。何度も不吉な前フリがあった後に場面転換が行われ、観客はドキドキしながら次のシーンを見守ります。直後に何の説明もないままに、前のシーンで倒れたり、居なくなったはずの登場人物が舞台に現れます。観客が「?」と思っているところで「会話」が行われ、観客は状況をなんとなく理解します。さらにその後のシーンで、状況を知らない第3者が現れて対話が行われ、観客の理解が深まります。

それぞれの場面で、その場にいる登場人物が知っていること、知っているはずのこと、知らないことのバランスがとても絶妙で、それによって物語が深みを増しているように感じました。

その一方、種明かしされない「余計なこと」がいくつも織り交ぜられていて、それによって観客の妄想が駆り立てられる点もとても効果的だったように思います。

 

気のせいかもしれませんが、島田さんは平田オリザさんの戯曲の作り方を参考になさっているような気がします。私の一番好きな劇団ハイバイの岩井秀人さんも平田オリザさんを師事していますが、そういった言葉の扱い方が私は好きなのかもしれません。

 

九州の演劇_botにつぶやいてほしい台詞選

twitterでフォローしているアカウントに@九州の演劇_botというものがあります。

今回、好きな台詞が本当にたくさんありまして、お金払うから戯曲がほしいところなのですが、このアカウントにぜひつぶやいてほしいと思った台詞選をお送りします。メモの段階で間違ってるかもですし、そもそもこのアカウントが著作権的にどうなのかはしりませんので、そのへんご了承ください。

何にもなくても躓くときは躓くんですよ

 

僕の悪いところのひとつは大事なものを手放したくなるところ

 

僕は秘密をしまういい道具なんだよ

 

どこにいても、誰といても、1人だなぁって

 

変わるって勇気のいることだから

 

おかえり、いま鍵開けますよ

劇団としての円熟味が増してきた

たった数年しか知りませんが、ある意味で今回の公演は非常口の集大成だったのではないでしょうか。団員が入れ替わりつつも、昔からいる役者が脇を固めながら、地域での活動を通して入ってきた団員が成長し、さらに非常口らしさを増していく。

初めて見たときにファンになってしまった石神さんは安定の素敵さで(友人が「あの人の演技は見ている人を不安にする」と言ってました(笑))、伊佐のロビンウィリアムス友枝さんはすっかり看板俳優になられていて、西元さんは落ち着きのない前回と違ってとても堂々としていて(すごくかわいかったし)、中岡さんも平さんも西さんも皆さんとても良かったです。

今回は前回公演の再演でしたし、先立って東京公演があったこともあると思いますが、全体としてとても完成度が高かったように感じました。

次回は記念すべき第20回公演。さらに円熟味を増した非常口に期待したいと思います。

 

お詫び

楽屋見舞い&鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞のお祝いということで、福岡公演に続いて焼酎を持っていきました。ちょうど前日に自宅を整理しておりましたところ、島田さんが南日本新聞でエッセイの連載をしていたときのスクラップが出てきまして、とてもいい記事だったのでコピーしてお手紙と一緒に焼酎に入れようと思ったのですが、とてもバタバタした結果すごく雑な貼り方になりまして、ストーカー感が溢れる結果となりました。ここにお詫び申し上げます。焼酎には罪はございませんし、フルーティーで女性にオススメな焼酎ですので、是非お楽しみいただければと存じます。

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