9月19日に第47回目の鹿児島哲学カフェを開催します。
のべ53回
2010年末にキックオフし、2011年4月に第1回を開催した鹿児島哲学カフェは2011年11回、2012年12回、2013年13回、2014年6回、2015年4回、2016年5回、2017年2回、2018年2回、外部開催も合わせると53回と重ねてきました。
当初は、毎月開催から始まり、2013年にパートナーが鹿児島から出た際も毎月開催を続けておりましたが、徐々に回数は減り不定期開催に。
その間、常連さんが指宿てつがくカフェやさかのうえ哲学カフェを立ち上げてくださり、さらに指宿てつがくカフェから派生して先月たにやま哲学カフェが始まりました。私は(鹿児島哲学カフェはではなく)、「場」を作ることを目的として、「場」があるということが最重要なこととして、哲学カフェを開催しているので我々が開催できない中、これだけ「場」が増えたことをとてもうれしく思っています。
存在感のない進行役として
そういえば少し前に5年以上の付き合いの方から「え?哲学カフェって能瀬さんが主催してるんですか?」って言われ戸惑った一方でいいことだなと思いました。鹿児島哲学カフェでは名前を名札に書きその名前で呼び合います(ニックネームでも偽名でも可と伝えています)。本人から明かさない限り職業も聞きませんし、長年の常連さんでも何をしている人か未だに知らない人も少なくありません。数名はプライベートでもお世話になっていますが、ほとんどが哲学カフェの間だけのお付き合い。以前、参加者の方から「大の大人が身分も明かさないで議論するなんてけしからん」的なことを言われたりしましたし、ひょっとするとその関係性に冷たいという印象を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。でも私はそれこそが哲学カフェの醍醐味だと思っています。名前も職業も分からない人たちが時間をともにし一つのテーマについて語り合う。こんな贅沢な時間はないのではないのではないでしょうか。
話は変わりますが、参加者の方から何度か「能瀬さんの意見はおっしゃらないんですね」「あまりしゃべられないかったですね」と言われたことがあります。私の進行は大学時代に哲学カフェを教えていただいた先生からの「進行役は自分の意見を言わない」ということと、徳田太郎さんの研修を受けた中での「進行しようなんておこがましい。参加者は進行する力を持っている。ファシリテーターはそれを引き出すだけ」という考えがベースにあります(私の古い記憶なのでそんなこと1mmも言ってないかもしれませんが)。なので、基本的に自分の意見は言いたくないですし、強引に進めることも、まとめることもありません。というか、参加者の口を和らげようを場を和ませることに精一杯でテーマについて考えてられません。ということで、言い訳にしか聞こえませんが存在感がないくらいがいい進行役・ファシリテーターだと思っています。
これまで支えてくださって、参加者の皆さん、会場を提供してくださった方々、応援してくださる皆さん、そしてパートナーには感謝しております。本当に感謝しております。お陰様で普通じゃできないような経験をさせてもらってます。何か、終わりそうな雰囲気を醸し出していますが、これからも懲りずに開催してまいりますので是非存在感のない私に会いに来てください。外部での開催もお受けしますので遠慮なくお問い合わせください(遠くは三重、沖縄でも開催したことがあります)。