公演から1週間が経ってしまいました。こうしている内に書かずしまいになってしまうので、今のうちに書き留めておこうと思います。
毎回言うけど、個人的な感想ですので、「野球ファンのおっさんが試合見ながらテレビに話しかけてる」と思って読んでください。
前回が2019年5月18日、19日の『七芒星』ということで3年以上ぶりの本公演。
劇団鳴かず飛ばず3年ぶりの本公演
今回の作品は夏にピッタリな【妖怪】に関するお話です
少し背筋が凍るような、しかしながら役者の熱量を直に感じられるようなお話になってます
コロナ禍で不安な日々が続いてますが、僕たちは演劇の力を信じとんでも無く熱い劇空間を作っていきます!乞うご期待!
— 劇団鳴かず飛ばず@7/30.31鹿児島市中央公民館KAREOBANA (@naka_toba) April 1, 2022
「まだかなまだかな」と心待ちにしていましたが、気づいたらあっという間に公演日になっていました。
見えないウイルスに翻弄された3年間
今回の「KAREOBANA」は妖怪を見たことがある(妖怪が見える)探偵と彼を使って金儲けを企む先生を中心に物語が進んでいきます(実際には先生は古道具屋で、部屋を貸している学生に家賃不払いの代償として妖怪探偵を手伝わせています)。探偵は妖怪に2度救われた過去があるのですが、「妖怪を見たことがある」と言うと周りから気味悪がれ、一方で何か悪いことが起こると妖怪のせいにされることに憤っています。
ある日、2人は実業家である大蔵A作が亡くなった事件の調査を大蔵家の女中から依頼されます。この大蔵家でも女中、あの女(秘書)、K一(A作の息子)それぞれの「見える」「見えない」が鍵となって話が進んでいきます。
このように物語の一つのキーワードとして「見える」「見えない」があるのですが、この公演自体、あるいは演劇界そのものがこの3年間「見えない」新型コロナウイルスに翻弄されてきました。
見えないウイルスという恐怖を広げるものとして演劇そのものが悪者にされ長い間、公演の中止や自粛を余儀なくされてきました(もちろん演劇だけに限りませんが)。公演ができるようになっても、感染への恐怖から客席は埋まらなかったり、また感染予防の観点から客席を間引かなくてはならなかったりで、収入の大半がチケット代であるアマチュア劇団は苦しい日々が続いていました。ようやくコロナ前と同じ環境で公演ができるようになったのは、今年に入ってからでしょうか。多くの公演がマスク着用、入口での検温、手指消毒は残しつつも、これまで同様のお客さんを入れての開催に戻ってきました。
我らが劇団鳴かず飛ばずも3年ぶりにお馴染みの中央公民館にて本公演を開催できる運びになり、いよいよ2日後に初日というところで不幸に見舞われます。
キャストの1人に新型コロナの陽性反応が出てしまったのです。これは想像に余りある事態です。おそらく発覚した時点で公演中止も頭をよぎったのではないでしょうか。2日前ともなると(実際に発覚したのが2日前かは分かりませんが)、会場ももうキャンセルできませんし(おそらく翌日には搬入、リハーサル予定だったでしょうし)、衣装も小道具も装置もできあがっていたでしょう。むしろ前日であれば、皆が濃厚接触者に指定され中止は不可避だったと思うので、その点は不幸中の幸いだったと言えるかもしれません。
誰も濃厚接触者がいないとは言え、本番は2日後に迫っています。西小野さんが演じる予定だった役をやってくれる人を探さなくてはなりません。が、たぶんこの点に関しては、コロナに限らず何が起こるか分からないので普段からリスクヘッジがなされているのでしょう。結果的に西小野さんの演じる予定だった役を劇団上町クローズラインの宇都さんと演劇集団宇宙水槽の花牟礼さんが演じることとなり、劇団同士の協力体制の親密さも改めて感じさせられました。
宇都さんも花牟礼さんも大好きな俳優さんで実力的にも申し分なく何の心配もなかったのですが(準備は本当に大変だったと思いますが)、個人的には西小野さんの演技で笑って癒やされようと思っていたのでとても残念でした。また、次回西小野さんの演技を見られるのを楽しみにしています。
さて、初日のAチーム公演を迎え「いよいよお客さんの前で演技ができる!」と気合を入れた矢先に立ちはだかったのは、目の前にいて見えるはずなのに見えないお客さんでした。おそらくお客さんも久しぶりの観劇だったのでしょう。コロナ禍の観劇でどこまで声を出していいのか、反応していいのかわからなかった部分もあると思います。また、初日は男性率(特に年輩の)が高かった気がします。男性のお客さんって女性に比べてスンとしてますよね。
そんなわけで、お決まりの米田さんの前説で会場の空気があまり緩まず、お客さんの空気が俳優陣に伝わり、宇都さん出演シーンでドカンと行くはずが思ったよりウケなかったせいで更に固くなり、本来なら緩和目的のシーンもずっと緊張しっぱなしで、お客さんの集中力が切れ席を立つおじさんも出てきて...という感じになっていた印象でした。
ところが、翌日11時からのBチームの初回では、見事に修正されていて米田さんの前説にて前日にはなかった「いつもはみんなで『携帯電話の電源は切ったぞ―!』と腕を上げて叫んでもらうんですが、それはできないのでしたぞーって人は拍手してもらっていいですか?」というのが追加になっていました。加えて、「マスクで表情が見えないので、おもしろいと思ったら大げさにリアクションしてもらっていいですか」という言葉も追加されていました。その回は、若い女性のお客さんが多かったというのもあるにせよ、この2つが加わるだけでお客さんが「笑っていいんだ」って雰囲気になっていたように思います。
自分の見たいようにしか見えない
「見える」「見えない」がキーワードと書きましたが、決して「見えるものよりも見えないものが大事」という安直なメッセージ性は感じませんでした。というのも、探偵には妖怪は見えているわけで、探偵にとって妖怪は「他人には見えないけど自分には見える」ものだったわけです。
K一は「自分にしか見ることのできない」父親を見たくてクローゼットに隠れ、あの女は「相手が見たいように」自分を変え、女中は「みんなには見えているA作が見えな」かったわけです。
そして「そこに何があろうとも見ようと思わない限り見えないし、人間は自分の見たいようにしか見えない」ということを強く感じさせられました。
そう感じたのは、2日目11時からのBチーム公演を見たときでした。私のように勘の悪い人間は、1回目よりも2回目の方が確実に楽しめる構成だったものの、そこを差し引いても1回目と2回目では全く違う物語を見ているかのような印象を受けました。
これまでの私の感想を読んだことのある方ならお分かりのように、私は
- 劇団員以外に厳しく
- 新人を新人として見てしまい
- 見た目に引っ張られ
- 以前の役の印象に引っ張られ
- 何回も見てれば見てるほど愛着を持つ
性質がございます。
下部の観劇メモを見ていただければ今回もそんな性質満載なのですが、1回目(Aチーム)⇒2回目(Bチーム)で大きく印象が変わっていることがわかります。例えば、
- AチームではK一がひとり空回りしているように見ていたのが、Bチームではとてもバランスがよく見えた。
- Aチームでは女中乙が間が悪く緊張しているのかと思っていたら、本当のことを知ってみると抜群だった。
- 竹葉さんの線が細い感じで探偵のすべてが弱々しく感じていたが、Bチームの依頼人の演技はすごくかわいく見えた。
- 平岡さんは狂気なイメージが強くて女中甲の役は意外性がなかった(めちゃくちゃ良かったのだけれど)。それよりもBチームのご近所さんでふざけてる方が好きだった。
などなど。嫌いすぎて見えないこともあれば、好きすぎて見えないこともあるし、見えるもので決めつけてしまう。人間ってそんなもんだよなぁってつくづく考えさせられました。
見方、場所、立場による見え方
見たいようにしか見えないと書いたけれども、見る方法や見る場所、立場によっても見え方は変わってくる。
K一
K一は普段みんなが見ているのとは違う父親をクローゼットの隙間から見ていた。多くの事業を手掛け一代で財を成し、時には悪いことにも手を染める父親。会社も家も大きく派手になっていく中で巨大化していく、父親のイメージ。近くにいるはずなのに、そして大きいはずなのに、どんどん見えなくなってしまったのではないだろうか。そこで忍び込んだ父親の書斎のクローゼット。隙間から見る父親はそんなイメージとは程遠く、肩の力が抜け一人の人間でしかなかった。暗く、ぼんやりとしか見えないながら、すぐそこに父親を感じることができたのが嬉しかったんだろうなと思う。一方で、自分には遠い存在の父親の近くにいつもいられるあの女のことが羨ましくてしょうがなかったんだろう。
あの女
そのあの女は秘書として寝ている時間以外、A作のそばにいたようだ。誰よりもA作を近くから見、誰よりも色々な顔を知っていたはずである。A作が慈善事業を手掛けていたことや、心臓の持病のことも知っていた。それなのにまだ「足りなかった」のだ。誰よりもA作のことを近くで見、誰よりもA作のことを知っていてもなお。そんな彼女が一番A作に近づいたのが、A作と同じ方法で殺された瞬間だった。「寒い寒いと言っていたあなたが最後はこんなに熱かったなんて」と恍惚の表情を浮かべるシーンは圧巻の一言。「一度でいいからあなたを...」という言葉と同時に果てるのを見て、また前のシーンで「妖怪だろうが人間だろうが女は女」と言っているのを聞いて、「彼女はA作をどうしたかったんだろう」と不思議でしょうがなかった。一番近くにいて、彼女の美貌を持ってすればA作と男女の関係になるのは容易だったのではないだろうか。しかし、彼女が望んでいたのはそうではないということが「寒い寒いと言っていたあなたが最後はこんなに熱かったなんて」という台詞からわかる。彼女が望んでいたのはA作の本当の気持ちを知ることだった。彼女はA作が作った児童養護施設で育った。その恩を返すために大蔵家に仕え、自分の感情を殺してきた。自身の妖艶さから近所からはあらぬ噂を立てられ、K一からは妬まれ、女中からは憎いA作を愛するものとして恨まれた。しかし、A作に対する恩がすべてを飲み込ませた。自分の感情は押し殺し、相手の望む女になることを決めて生きてきたのだ。ひょっとすると女としてA作に近づこうとしていれば、自分の気持ちもA作の気持ちももっと早く触れることができたかもしれない。が、彼女はそれを選ばず「誰かが望む女」として自分を殺して生きることを選んだ。自分が殺したはずの感情が一瞬だけ生き返ったのが絶命する瞬間だったというのは皮肉な話である。
このあの女を巡って一点、納得のいかないシーンがあった。いつもおちゃらけている先生が、あの女が殺された後の幕でK一の胸ぐらを掴むシーンだ。ナカトバは米田くんに三枚目の役をやらせておいて、かっこいい一面を見せることでそのギャップにキュンとさせるという手法をよく取る。あそこまで怒る理由が分からず、「今回は必要なかったんじゃ?」と正直思っていた。のだけれど、探偵&女中、先生&あの女がそれぞれ対話(平田オリザで言うところの)をするシーンを思い返すとあの怒りが少し理解できる。先生は唯一、彼女の本当の気持ちに触れていたのかもしれない。
女中甲
そして女中である。女中はA作の妾の娘で母親とともに遠く離れたところに捨てられた過去がある。その恨みからA作に復讐をするために近づいた。ラストシーンで彼女は「今さら謝られたって私には見えないんだよ。聞こえないんだよ」と言い(女中の独白のシーンは1回目も2回目も集中していたのかほぼメモがない。平岡ちゃんも大城ちゃんもすごくよかった)、探偵から「本当に見えなかったんですか」と聞かれている。
深い恨みは確かだろうし、母親と自身の恨みを果たさなくてはという使命感も理解はできる。しかし、彼女は誰よりもA作の良い面を「見ていた」ことが物語全体を通して見てとれる。それはA作について色々と尋ねられるシーン。自分の行なった殺人を妖怪のせいにするために探偵に依頼したとしても、普段のA作について聞かれた際にいい人だったという必要はない。自分の知っている悪事を並べ立て、色々な人から恨まれていたはずだと答えた方が、自分に疑いの目が向けられることは防げたはずだ。しかし、それをせずに「とても優しい方でした」と言えるのはしっかりとそういう姿が見えていた証拠ではないだろうか。実はそれ以前にも彼女は優しいA作の姿を知っているのだ。少なくとも捨てられるまでの間、母も自分も幸せだったし、A作は彼女のお父さんだったのだ。
そもそも、彼女が殺害を思い立ったのはA作が朦朧とした意識の中で彼女を見て母親の名前を呼んだことがきっかけである。それまで見えていなかった(忘れていた)憎いA作がその瞬間に蘇ったのではないだろうか。一方で、A作が母を、自分を覚えていたことに喜びを覚えたのではないかとも思う。そしてこんなにも憎い相手に喜びを感じてしまった自分への悔しさから何度も何度も何度もA作の背中を刺すに至ったのであろう。
演劇
見方、場所、立場によって見え方が変わるというのは演劇も同じである。
まずは場所。今回私は2回とも一番後ろの中央で観た。全体を見渡すことができるし、お客さんの雰囲気も観察できる。今回良かったのは一番大事なシーンで平岡さんや大城さんとガッツリ相対しているような気持ちになれたことだ。小松さんが「今回、鏡を通して客席を見れたのが新鮮だった」とtwitterに書かれていたけれど、感情を爆発させている女中やあの女の対面に自分がいて、彼女たちの感情を自分が映しているようなそんな気持ちになった。
基本的に私は映画も同じように最後列の中央を陣取るのだけれど、舞台の場合は角度によって見え方が違うだろうから(特に今回はたくさんの鏡によって見え方も特殊だったはず)1回目は右、2回目は左という感じで見るのもいいかもしれない。
このコロナ禍、演劇をオンラインで見ることも多くなった。生鑑賞に比べてオンラインのいいところは、いくらでも寄れるところ、東京とかでしかやっていない舞台が自宅で見られるところだろう。しかし、今回ナカトバの舞台を見て感じたことは、「舞台は生に限る」ということだ(だいぶありきたりだけれど)。
完璧なものを見るならば、ドラマや映画の方が良いだろう。しかし私が感じる演劇の魅力は、一回性の奇跡なのだ。以前、こんなことがあった。北九州マラソンに行ったついでに劇団 不思議少年の舞台を観に行った。オープニングの一幕が終わった瞬間、一番前に座っていたおじさんが「こんなの全然ダメ」といった感じで手を大きく振りながら外に出ていったのだ。私はその瞬間「都会はこれだから良いよな。自分が嫌いなら途中でも出ていくということが認められている!!!」と大興奮したものだ。その日はアフタートークがあったのだけれど、出演者の半分がその事象に気づき動揺し、残り半分は全く気づいていなかった。出演者だけでなく、お客さんもその日の舞台を作っているのだ。
もうなんか十分書いた気がするが、見方と立場についても書いておく。私はまったく演劇について知らない。これまでの人生で一切作る側に携わったことはない。大学時代に阿佐ヶ谷スパイダースの『はたらくおとこ』を観て衝撃を受けて以来、普通の人よりは舞台を観てきたという程度である。
だから舞台に見えている俳優たちを自分の好き嫌いでしか論じることはできず、照明や音声、はたまた制作陣の苦労は見えないし理解できない。でも多分それでいいんだろうとも思う。テレビで甲子園を見ながら文句言ってるおじさんだからこそ言えることがあると思うし、言われる側も「何も知らないくせに」と聞き流せると思う。たぶん、もっと深く関われば違う景色が見えるのだろうけれど、彼らがいかに努力をしているかを知っているので、これからもテレビの前で観戦し続けようと思う。
見方という点に関しては、少しずつ変わってきたきもしている。以前にも書いたが、私がナカトバの舞台を初めてみたのは2010年の『大江戸ロケット』である。プロの舞台を何度か観てきたこともあり「鹿児島の劇団がなんぼのもんじゃい」という気持ちで観たお陰もあり自分でも驚くほど感動した。回数を重ねれば重ねるほど愛着がわき、当時は悪いところに目が行きがちだったけれど、あばたもえくぼに見えてくる。たくさんの人に知ってほしくてチケットをたくさん買って配ったりもしていた。10年が経ち俳優陣の顔ぶれが変わってきた。そうなってくると大好きな俳優陣と比べているのが自分でよく分かる。今回、竹葉さんはよへーちゃんに、黒葛原さんは美和ちゃんに重ねていた。そうなるとその子個人を見なくなるから良くないかなとも思ったけど、何度も見ることで彼ら本人にも愛着が湧いていくんだろうと思う。
信じるという行為としての演劇
妖怪の存在だけでなく、妖怪は良いやつだということを信じている探偵。磨いても金剛石になるわけではないと分かっていながらも妖怪を信じる探偵を信じる先生。3年もの間、目の当たりにしてきたA作を信じることのできなかった女中甲。
「信じる」という言葉も本公演のキーワードのひとつだと思います。
こじつけてばっかりいますが、演劇は信じるという行為そのものではないでしょうか。
お客さんはおもしろいものが見られることを信じてお金を払ってチケットを買い会場に足を運びます。今回3年ぶりとかなり間が空いたにも関わらずかなりたくさんのお客さんが入っていましたが、これは鳴かず飛ばずという劇団を信じているということ他ならないと思います。
一方で、劇団側もお客さんが来てくれることを信じて公演を打ち、笑ってくれると信じて死語となってしまったギャグを織り交ぜ、理解してくれると信じてひょっとしたら分かりづらいような演出にも挑戦する。
お互いに信じているからこそ、そこに一体感が生まれひとつの舞台が完成するんですねぇ。
今回のホラーものっていうのもお客さんを信じてなければできないと思うんですよ、私ゃ。
これまでやったことがないジャンルでも、どんなにメンバーが新しくなろうとも、ナカトバの公演を観に行けばナカトバのお芝居が見れるって信じてこれからもついていきます。
まとめ
本当はもっと書きたいこと山ほどあるのよ。米田くんの紡ぐ言葉が好きだとか、2回目のあの女と女中の独白で号泣したとか、twitter見てたら竹葉くんが同じ街に住んでることが判明したからおいしいもの食べに連れてってあげたいとか、久しぶりに会えて嬉しかっただとか、平岡ちゃんも大城ちゃんもかわいいだとか、みんなかわいいだとか、やっぱりサモンさん見たかったなぁとか。客席で久しぶりに姿を拝見できて嬉しかったとか。まだまだ、色々あるんだけど早くアップしないと賞味期限切れちゃうんでとりあえずアップしておきます。誤解や間違い、「おめ―ムカつくんだよ」があったら教えてください。
観劇時メモ(☆は解説)
1回目(7月30日 19:00)
ただいま~ ☆前説での米田くんのひと言目
行灯の「偽」「誤」「真」「仮」の文字
真だけ消えてる ☆初めこの4文字が何なのか分からず条件によって特定の文字が点いたり消えたりして、物語のヒントになると思っていた。
鏡
えんらえんら ☆妖怪名⇒Wikipedia参照
米田くん噛みすぎ
コブラツイスト
平岡ちゃんかわいい
記者誰? ☆花牟礼さんの固い演技を見たことがなく後にびっくりする。
絨毯が広がらない
女中乙緊張
偽怪5 誤怪3 仮怪2 真怪
韋駄天パネル上下反対
天狗の好物 コロッケ
信じてくれる人がいる
なぜ妖怪を信じているのに初めのシーンでは妖怪ではないといった?
おおくらえいさく 神田
「これは…これは何だと聞いているんだ!」 1回「これは何だ」と聞いた後じゃないとおかしい
ぶるぶる ☆妖怪名⇒Wikipedia参照
上着持って戻ってくる
走ってない?
客が重い
女中丙かわいい
「からかわないでください」が効いていない ☆弱々しく歯切れの悪い「からかわないでください」はしつこく感じた
時計が視界にない方がいい ☆外せないと思いますが、時計が視界にあると「残り時間で展開予想おじさん」が発動してしまう。
2人きり-そうなりますよね 好き
びしょびしょビショップ全然ウケない(私は好き)
玃(やまこ) ☆妖怪名⇒Wikipedia参照
「妖怪なんているわけ無いだろう」耕太郎言うの早くない?
オオカミ少年
やまこはそれだけ言うと
お前が両親とアイツを襲ったんだ
2人ずつペアで「対話」する構造
土塊の器が化けるんだ
家鳴(やなり) ☆妖怪名⇒Wikipedia参照
やっと迎えた朝だ
雪女、つらら女 ☆妖怪名⇒Wikipedia参照
「まっしろですきとおる」⇒「まっしろですきとおった」じゃね?
記者、花牟礼くんだ!
K一。温度が合ってない
緩和が足りない
ずっと目を見開く必要ある??
猛毒だとしてもみんなの前では飲ませないでしょ
「自分で拭けますから」何しようとした? ☆その前のシーンで白湯をこぼすのだけれど間のシーンのせいで忘れてた
「人間誰しも人が考えていることはわからないのではないでしょうか」
「そういうときは見なくていいのではないでしょうか」
「私はいつだって誰かが望む女です」
「怒りであれ恐怖であれ誰かを思っていたのなら」
鏡に反射して目が痛い ☆ライトが鏡に反射して目を刺しまくり。2回目はそんなことなかった
一度でいいからあなたを... ☆あの女は女としてA作を見ていたのなら、一度でいいからA作をどうしたかったのだろう
背中を突き刺された出血し⇒失血死が正しくね?
俺が見なかったことにしたら元通りになるって ☆どうして見なかったことにしたら元通りになると思ったのだろう
ラスト20分で席に戻るじじい
薬を飲ませたら苦しんだのか
情愛-憎悪 深いところに押し込んでしまえば、誰も見ることができない
一瞬も立ち止まらなかった。泣ける ☆本当は泣いていない
本当に聞こえなかったんですか
姿形のある私たちには人の心は見えません。
でも人の心に触れることはできると思います。
2回目(7月31日 19:00)
朝だからかな かわいい
おー!の代わりに拍手追加
リアクション大きく
語り上手 ☆北之園さんのこと
間を長くした?
顔だしてたっけ? ☆初日、冒頭の語りシーンでの妻って顔だしてなかった?
ご近所さんと立ち位置かぶった
あなたの目だけに映るものがあるんじゃないですかね
チョベリバ 大正時代なんですけどね ☆そもそも令和も使わないしw
客層若い女性多い
宇都さん受ける 竹葉くんの照れかわいい
音楽に合わせたステップ いい
大城ちゃん色気ある
何で依頼に来たんだっけ? ⇒妖怪のせいにしようとした
平岡ちゃんの着物いい
絨毯スムーズ
ちょっと背伸び
ライトを妖怪(女中乙)に当ててる?
「影があるとしたら」
口車は車検に出した方がいい
韋駄天ボード正しい方向
かっぱ ライスカレー
彼は本当さ 「本物さ」ではない
2階を見てぎょっとした。わざわざ上がってる ☆迷子になった探偵に呼びかけるシーン。2階に妖怪いるかと思ってぎょっとした。
「信じられるかの話をしてるんだ」
「天井飾ってどうすんだ」
本、先生にあたった
「これは何だ。何だと聞いてるんだ」
途中長い独白。大城聞き心地良い
「からかわないで」強い
鼻の下、戻しておくね
平岡 緩急うける
近所の人の話伸ばした?
やだの平岡ちゃんかわいい
鼻の下海底2万マイル
したんでしゅー
物語の登場人物みたい
この目は何を見てきたのかしら
あれこれ「に」気にした
女性をアゴで使うような
心が残ってれば、それでいいと
左手でハタキ ☆左利き?と思ったけど、このツイート見た感じなんかあったけ?
滑舌良くなった ☆大城ちゃんのこと。昔を回想
そうなりますね
チェックメイト⇒クイーン
猿のあやかし
妖怪なんているわけないだろう
化け物だ殺せ殺せ
こいつのせいに
お前が両親とアイツを襲ったんだ ☆お前って誰だったんだろ
鏡の位置の意味
きれいななり⇔お世辞にも
輝かなくていいんですよ
先生さんは
衣装着替えるの早くない? ☆北之園さんのこと
着物の方が好き ☆同上
半纏からなにか落ちた ☆花牟礼さん
米田くんが回収 ⇒花牟礼さんポケットに入れた
肝心なところを避けている⇔妖怪のせいではないと決めつけている ☆こうだとしたら、肝心なところを見るようにしてなぜ解決できたのかが謎
白湯かけたのを拭いた
「とさ」の間
人間はそうですよね ☆人間はそうかなぁ
そういうときは見なくていいんじゃないですか
抱かれてたっけ?
ずっと望むものになっていたんです
妖怪だろうが人間だろうが女は女
手にはいらないからこそ求めてしまう。
あー、寝れなそう
恐怖であれ、怒りであれ誰かのことを思っていたのなら
狂気 いい
望むように生きてきた それ以上望まなかった
一度でいいからあなたを
あなたと同じ
最後は熱かったなんて 良かった
本当に??
肝心なところで噛むな
そうしたら、そうすれば、元通りに
見ることも聞くこともやめてしまえば
心臓に治療をもっていた⇒持病
あの人と彼女は⇒あの人とあなたは
K一どこ見てんねん
KAREOBANA まとめ