3日連続とか言いながら実は時間差更新しております。
もうね、原作を読もうと思ってもなかなか頭に入ってこないのですよ。
冒頭を読み始めて止めて初めから読みなおして止めてってのを繰り返してたら寝る前にやっと読むことができました。
こんな作品(失礼!!)をやろうっていう、その時点ですごいとしか言いようがないですわ。
さて、本日は
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act.2 Kの昇天(―或はKの溺死) ←カッコ内は原作のみ
こちらは、3作の中では一番長い作品。Kという男性が溺死し、その原因についてKの知人から手紙を貰った主人公が、その手紙への返事という形、モノローグで進んでいきます。
主人公はある病気を患っていて夜なかなか眠ることができずある満月の夜、砂浜へ出かけました。
するとある男性が自分の30、4歩先で海に向かって進んだり戻ったりを繰り返している。最初は、何か探しているものと思ったが、そういう様子でもない。その様が無性に気になり、口笛を吹いてみるが彼が気づく様子もない。話しかける理由にマッチを手に「何か落とし物ですか。落し物ならマッチを持ってますよ」近づく。のっぺらぼうの様な恐ろしい顔で振り向いた彼の顔がきまり悪気な顔に段々変わっていき「何でもないんです」と言う。これが主人公とKの出会いだった。それから主人公はKが何をしていたかを聞き出すわけですが、彼曰く、影をじーっとみていると影自身が命を持っているかのように思えてくる。影の自分が人格を持ちはじめ、逆に自分の気持ちは遠くなっていき月光を遡って月に向かって昇っていく。それが麻薬(阿片)のような気持ちにさせてくれる。また、それは影を自身と同じ大きさに映してくれる満月の光でなくてはならず、また静止しているのではなく影が少し揺れている方がいい、だから彼は行ったり来たりしていたのだと。
そして、次の満月の夜、Kは溺死した。
私は、Kと似たような感覚(似たようで違うのだけれども)を「夢」と「鏡」に感じたことがある。私は毎晩、夢を見るのだけれどもあまりにも夢がリアルすぎて、或いは現実で夢で見たものを見ることが多々あり、どちらが現実か分からなくなることがある。そして、実は今生きてるこの現実こそが夢なんじゃないだろうかと思うことがある。夢を見ているとき恐ろしいことが起こると、「あぁ夢だ。起きれば大丈夫」と考えるのだが、それが現実でもできるんじゃなかろうかと思ってしまう。しかし、できてしまえばそれは現実ではなく夢なわけで…
そして、鏡。いつも鏡を通して見ている自分の姿(特に顔)を自分は直接見ることができない。鏡に映っている自分、水面に映っている自分、写真に映っている自分が果たして本当の自分の姿なのか死ぬまできっと分からないだろう。そういった意味で鏡に映っている男は自分ではない誰かなのではないかと思っていた時期があった。(それを話したところ心理学科の研究生に「分裂病なんちゃうん?」と言われたが…)
こちらもネットで読むことができますのでよかったらどうぞ
⇒青空文庫HP 梶井基次郎『Kの昇天 ―或いはKの溺死』
※私、全く劇団関係者じゃありませんし、舞台の内容も知りませんのでここに書いてあることは公演とは直接関係ございませんのであしからずご了承下さい。
◆公演情報
LED CHAPLIN' 3rd session『檸檬』
原作/梶井基次郎
構成・演出/市原大海
【日時】
2010年12月12日(日)
11:00/14:00/19:00(3回公演)
※開場は30分前
【場所】
鹿児島市中央公民館
【入場】
大人 /前売り1,000円(当日1,300円)
高校生以下 /前売り800円(1,000円)
※未就学児は無料。ただし保護者同伴。
【キャスト】
福薗宏美(劇団LOKE)
岩元恵理(演劇ユニット ノヴァの刺身)
Royzi(劇団XERO)
湯田葵(演劇ユニット ノヴァの刺身)
冨吉ひかる(ALiCE-IN-NEVERLAND)
市原大海