鹿児島哲学カフェも、もう5回目が終了しました。早いですねぇ。確か、大学時代に関わった回数と並んだか超えたかじゃないですか。こんなに順調にいっているのも、会場を使わせてくださる皆様、参加してくださる皆様のお陰様でございます。本当にありがとうございます。これからも地道に回数を重ねていきたいと思いますのでどうぞよろしく。はい。
さて、今回のテーマは「つながりの可能性」ということで“つながり”について少し考えてみたいと思います。
私にとって、この1年弱はつながりについて考えさせられる1年でした。TenBizやTenDokuに参加し、FromKagoshimaProjectや哲学カフェでの活動を始めたのもこの1年。色んな劇団の方々とのつながりができたのもこの1年ですね。知らないコミュニティの中に1人で飛び込んで行くことが結構あって、そう考えると今回の議論の中で出てきた「網の中に飛び込んでいく」って表現がしっくりきました。幸い、最近はうまくつながれている印象ですが、飛び込んでいった結果、失敗したことも何度かありました。うまくいく場合は、最初から自分をさらけ出せた時、さらけ出しても大丈夫と思った時ですね。
今回の議論の中で「Web上のつながりと生のつながりの質は違うのか」という疑問を持ちました。Web上のつながりは自分の1面しか見せておらず、表面だけの付き合いでしがらみがないっていうのがどうしても腑に落ちない。それは、自分がWebの匿名性という恩恵を受けてないからかなとも思います。facebookはもちろんのこと、以前からブログも実名ですし、mixiやtwitterも実名。2chとかを利用したこともないので匿名だからやりたい放題を経験したことがないわけです。いや、ちょっとあるかw逆に生のつながりを考えた時に、各場面で自分の全てを出しているかといったらそうとは消して言えず、各コミュニティの各場面で“自分”を使い分けている。そういった部分でWebでのつながりがこうで、生のつながりはこうっていうのは私には定義が難しいなと。
逆に「Webのつながりによって、生のつながりの可能性が広がる」っていう意見は(後からですが)、腑に落ちました。「Webで“会っている”と実際に会った時にすんなり本題に入れる」だとか「会いたいと思った人に会おうと思えば会える時代になった」とか、この1年間の経験を通して身に染みて実感しております。何だか、東京とかのスゴイ人と盃を酌み交わせたり、いつもfacebookやtwitterでこの人いいなぁと憧れてた人と普通に話せたり、Webが引き出す可能性って限界がないなと思ったり思わなかったり。その反面、Web上にこれだけおもしろい人いるんだから、世界には(日本には、九州には、鹿児島には、姶良には、職場には、身の回りには)もっともっとおもしろい人がいるはずだと思えるのもWebがあるからこそって言っても過言じゃない様な気がしてきました。
いつもの様に意味が分からなくなってきたところでお開きにしたいと思います。ごきげんよう。