哲学カフェ

空気は読まなきゃいけないの?

先日、某同窓会の後、某氏からこのような言葉を頂戴した。

「これからもリーダーとして、皆をグイグイ引っ張ってください。 空気を読まずに、強引にやることも大事ですよ!」

とてもありがたいお言葉だった。おそらく会の中で私が空気を気にしていることに気づかれたのだろう。

 

昔から”良い子”として周りの目を気にして生きてきた。それに疲れたり、「人がどう思おうと気にしない」と思っていた時期もあったが、おそらく根本は何も変わっていない。その証拠に極度に空気が読めない人がいるとイラッとする(おそらく私を見てKYだとイラッとする方もいるだろう)。

最近はあまり空気を読まないようにしている。いや、空気を読まないようにしていると思っていたが上記のお言葉をいただいて考えてみると「空気を読まないようにしている」のではなく「あえてスベろうとし」たり仕事で言うと「あえて嫌なことを言」ったりしていることに気がついた。先日某所でお話させていただいた際も、その目標を「参加者をリラックスさせること」を一番に掲げスベり倒した結果、参加者から「心が折れない人」という評価を頂いた(ことを人づてに聞いた)。これを聞いた際、「あえてKYを演じているから」と思ったけれどもやはり少し違う気がする(もちろん「あんな長くしゃべりやがって。十分KYだわ」と思ってる方がいるだろう)。

↑こういうカッコ書きも空気を読みすぎている結果

 

さて、そう考えると今回の同窓会も準備から終わるまで空気読みっぱなしだった。「自分が幹事なんかしてもいいんだろうか」から始まり「何度もメールしたら迷惑だろう」とか「ビールと焼酎しかないのはあれだろうな」とか、始まってからも「時間オーバーしてるけど大丈夫かな」とか、終わってからも「参加してない人に写真送ったらあれかな」とか、もう空気読みまくり(笑)つくづくちいさい人間だなと思う。しかし、ここを乗り越えられたら成長できるのだろう。

で、結局「空気を読む」ってどういうことだ??

ということで明日の哲学カフェのテーマは「空気は読まなきゃいけないの?」です。いや、私の希望ではなく上の件の前に参加者の希望テーマから決めたのですよ。運命です。思う存分KYしてこようと思います。ぷぎゃー

※参加申し込みは既に〆切っております。

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