芝居を観た帰りに歩きながら考えていた。ここ最近、鹿児島の劇団の芝居を観まくってる。特にプライベートで親交の深い方がいるわけでもない。芝居は好きだが、それだけの理由で観に行っているわけではない。
では、なぜ?
昨年、初めていわゆる素人劇団のお芝居を観た。ビックリした。感動した。みんなにもっと観てほしいと思った。他の劇団も観た。作風、スタイルは違ったけどやっぱり素晴らしかった。応援したいと思った。自分も舞台に立ってみたいけどその勇気がないことによる憧れなのかもしれないし、逃避なのかもしれない。
ブログで紹介したり、人誘ってみたり、劇団員のブログに書きこんでみたり、直接の関わりはないものの応援することで勝手に友だち気分になっている。
第1回哲学カフェで、ともとは「自分がともと思い、自分をともと思ってくれると思える人」のことであるという話が出たが、「じゃあ、例えば今回の震災に際して、海外からの支援の声などをあげてくれてる人はともではないのか」という意見から腑に落ちていなかった。
今日考えた結果としては「相手を応援したい、相手のために何かしたいと思えるのがとも」なのではないか。そう考えると上記の例も納得が行く。ってことは、あながち序盤に出た②の意見も正しかったのだなぁ。
第1回鹿児島哲学カフェの議論についてはコチラを参照⇒ https://www.cafephilokagoshima.net/?p=135